今週読んだ本。
数年前に話題の本だったが、今週初めて読んだ。
アーサー・ゴールデンはしっかり調べているし、何より翻訳がすごくいい。
違和感なく、日本の小説として読んでいける。
宮尾登美子的というよりは、吉屋信子的かも。
ただ、終戦後のあらすじはちょっと乱暴な感じがするのは多くの人が指摘するところ。
この本は祇園の岩崎峰子さんが裁判を起こしたことでも有名だが、
最初はどうして裁判を起こしたのか、分からなかった。
多くの読者が、「ノンフィクション」だの、岩崎峰子の自伝を小説に焼きなおした等々考えているのは、ネット検索するまで気がつかなかった。
・・・・だって、岩崎峰子の自伝としたら、時代が全く違うじゃない??
もっとも、誤解の原因はたぶんに岩崎女史にあるのかもしれない。
(岩崎女史の本は「花いくさ」しか読んだことないけど)
この方のブログにも引用があるが、岩崎峰子さんは祇園をいとしく思うあまりに、
ちょっと事実と異なることも行っているのではないかと思う。
http://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2005/07/memoirs_of_a_ge_e5fe.html
お公家さんの家の娘が果たして本当にそんなに芸妓になっていたかははなはだ疑問。例えば、江戸時代も長かったので、御家人や陪臣の娘が花街や遊郭に身を落とすことはあったと思われるが、ある花街(例えば浅草)の芸妓の5割が侍の娘といった場合に、それをもって「侍の子女が多かった」とは言わないのではないか。・・・この場合「多かった」を全体の何パーセントとするかは個々人の判断によるとは思うが。
(ちょっと興味がわいてきたので、この夏休みは風俗史や民俗学の書籍で調べてみようかな。また旧華族の知人に「公家の娘の就職先」をたずねてみるのもいいかもしれない・・・・とはいえ、ご自身が華族であられた知人のお祖父様は先ごろ亡くなられたとのことなので、知人がどこまでそんな話を聞いているか・・・
私の知っている例で言えば、父の幼い頃かわいがってくれた「裏のおばあさん」が、井上馨候の後妻で、貧しい生まれの芸者あがりだとか。「聞多も下の生まれなのでちょうどよかったよ」とよく言っておられたとか。父にお菓子を振舞いながら、子供の頃はこんな上等なものを食べたことがなかった、と言っておられたとか。まあ、祇園の芸妓ではなかったのかも知れないが。
また「水揚げは万に一つもない」とは戦後はそうかもしれないが、まさか戦前も「水揚げはなかった」と主張するのはどうかと・・・・・
父が「裏のおばあさん」の水揚げの話(回想)を聞いたときは小さくてぴんとこなかったようだし(第一そんなに生々しい話は男の子にしないだろう)、私も子供の頃はぴんと来なかったが、「水揚げ」済んでいる芸者は襟で見分けるとか、そういった話はよく覚えている。高校時代、歌舞伎や時代劇好きな同級生と話しているとやはりみんな普通にそんな知識はあったのだが、岩崎氏の話(芸者の水揚げは性を伴わない)を信じるとすれば、水揚げにまつわる話は「都市伝説」ということだろうか?
最も最近は着物姿を見て、玄人と素人の区別がつかない若い年代が増えているので、岩崎氏の主張も割と信じられているらしい、というのがブログを見ての感想。
(それに、「花いくさ」を原作にした、大和和紀の「紅匂う」も読者層を意識してか、非常にきれいな話にまとまっているし・・・これを読んでいる若い層はこのまま信じるんだろうなぁ)
昭和は遠くなりにけり、って最近本当ーーーーーーーに実感する(ため息)